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  • 2009.04.30 Thursday
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something

どっちかといえば・・

JUGEMテーマ:ニュース


<光母子殺害>橋下氏に賠償命令 元少年の弁護士への発言で

大阪府民なので、一応橋下という名前が出ればみてみるんだけど。
先にいっておきます。ハシモトの政策を賛成していない部分も
多々ある私なんだけど、7割がた、よくやっているなぁとは思ってる。
だから、元々、擁護派なんだろうといわれればそうかもしれない。

でもあえて言うと、今回のこの裁判については、
100%ハシモトが悪いとは思わない。

ことの成り行きは
「光市事件を巡っては、被告の元少年側弁護団が差し戻し控訴審で「(事件の動機は)失った母への恋しさからくる母胎回帰によるもの」などと主張。一部世論が反発する中、橋下氏が昨年5月放送の情報バラエティー番組「たかじんのそこまで言って委員会」(読売テレビ)で「許せないと思うなら一斉に弁護団の懲戒請求をかけてもらいたい」などと発言した。直後から弁護団メンバーが所属する弁護士会への懲戒請求が急増。日弁連によると、07年末までに計8095件の請求があった。」

それに対して、被告の元少年の弁護士4人(広島弁護士会)が計1200万円の損害賠償を求めたらしい。

私はこの時点で、はぁ?と思ったわけよ。
懲戒請求のせいで「懲戒請求で原告は相応の事務負担を必要とし、精神的被害を被った。いずれも弁護士として相応の知識・経験を有すべき被告の行為でもたらされた。」ため損害賠償となったらしい。

裁判の結論は
「橋本良成裁判長は「橋下氏の発言と懲戒請求との間に因果関係があることは明らか」として橋下氏に1人当たり200万円、計800万円の支払いを命じた。」

この懲戒請求ってのは法律上、根拠があることが必要であり、
実際の請求の中には、署名活動感覚で出されたものが多く含まれていた、そうだ。

でさ、確かにハシモトが言い過ぎたとか
軽率な発言だったのかもしれないけど、
まず懲戒請求って手段があるんだということを
法律とか裁判とか全くわからない人たちにそれを伝えたっていう功績があって、
もちろん手段にたいして誤解を招くような説明不足なとこがある、というのは
認めるけど、そういった方法があるっていっただけでも
いいことじゃないか、と思う。

懲戒請求じゃなくったって、この弁護士のやりかたは
ある程度は非難される、ということが、こいつらだって
わかっていただろうに。
それに対して、ただ文句を言うだけでなく、
法律にのっとったらこういう方法もあるっていうのを
言ったハシモトはえらいとおもうよ。

だからさ、懲戒請求の方法や根拠の有無についての説明が全くなかった
落ち度について、この金額はたかすぎやしないかとおもう。
だいたいそういったからって懲戒請求するかしないかは
本人の意思じゃないのか?
そうやってこの弁護士をやめさせたいと思っている人がたくさんいて
それに対しては知らん顔っつー弁護士やら、弁護士会やらは
何を考えているのか、そっちのほうが腹立たしい。

決して簡単とは思わないんだよね。そこまで人間が行動するのって。
よっぽど腹に据えかねてる人がいたとおもう。
私でも思い返したら、むかつくもん!

もちろんハシモト側は控訴する。

今回はハシモトを応援するぜっ
  • 2008.10.02 Thursday
  • 12:44

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  • 2009.04.30 Thursday
  • 12:44
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Comment
なだいなだ『人間、この非人間的なもの』[ケシカラニズム考]より。※ケシカラニズムは、なだ氏の造語です。

「ケシカランというのは、個人の感情としては、怒りにむすびついています。しかし、個人の怒りが、防衛本能に結びついていて、自分が他人によって傷つけられ、いためつけられることによって生まれ、そこまで押しこめられていた攻撃性の蓋をとることになるのに対して、ケシカラン感情は、それにどう結びつくのでしょう。

 自分はなにも傷つけられていない。傷つけられて怒っているのは他人。その怒りを見て、「それがどうした」と いっていらられれば、自分とその男の間には、なんのつながりもありません。もし、その男の怒りの対象に対して、自分もケシカランという感情を持つことができれば、そこにケシカラニズムによる人間間の連帯が生まれます。その男の怒りの対象に、ケシカランと思う第三者たち同志も、それによって結びつけられるのです。

その点では、ケシカラン感情は、社会正義の感覚の出発点をなしているのだといえます。自分の知らぬ、第三者と第三者との間の争いを傍観することができなくなり、どちらかの立場へと立たせるもの、それがケシカラン感情であり、その時の自分の行動を正当化するものとして、社会正義が必要とされるのです。もし「それがどうした」とつぶやいていたら、そこには社会正義は生まれないでしょう。

しかし、このケシカラニズムと理性的社会正義の感覚とが混同されてはなりません。ケシカラニズムは、いいかえれば理性的正義ではなく、感情的正義であり、瞬間の正義であるといえるでしょう。ケシカラニズムが、感情といううつろいやすいものに結びついているのに対して、理性的社会正義はより永続的なものに固定されています。

そもそも、怒りと、それに対する報復とは孤独な人間の行動のパターンでしょうが、それが、社会的なひろがりを持つことで、法の原形は生まれたのでした。法は、報復を形式化し、個人的な報復行動を公的なもので代行させることでなりたったのです。こうして、‘個人の行動の社会化が行われるにともなって、感情の社会化が行われ’、怒りは、ケシカランに変り、社会化された報復行動を支持する、社会正義へと変形していったのです。
私たちは、民衆の社会正義感覚にもとづいた連帯に、ケシカラニズムの基盤があることを認めねばなりません。

それは、感覚的正義であり瞬間的正義であり、純粋正義であるので、民衆運動の原点だといえます。しかし、同時に、それこそが、私たちをファシズムへ参加させる危険を持つものでもあるのです。社会正義的感覚のみじかさが、持続のなさが、その原因なのですが、過去において、ケシカラニズム的な日常感覚が、ナチズムにどれだけ味方したかを考えれば、これからもよほど注意しなければならないでしょう。」

  • ほのぼの
  • 2008/10/14 6:33 PM
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昨日(08/10/2)光市母子殺害事件に関連する民事訴訟で橋下府知事に賠償命令が下りました。 事件そのものは差し戻し審で被告に死刑判決(控訴中) 自分も、弁護団のドタキャン騒動(この時点では2名)や、ドラえもん魔界転生発言に憤りを感じる一般人です。 自分の場合
  • ファブログ
  • 2008/10/03 3:51 PM